香港行きたい?

 

5歳で弟ができた俺。

 

それからまもなく、また俺の人生を大きく変える出来事が起こる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言うと、父親の海外単身赴任が決まった。

 

 

 

 

「日本のみんな(じいちゃんばあちゃんや従姉妹、そして日本の友達)にはほとんど会えなくなっちゃうけど、お父さんと一緒に香港に行きたい?それともお父さんにはほとんど会えなくなっちゃうけど、日本に残りたい?」

 

 

 

俺は母親からこう言われた。そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「香港に行きたい!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は即答した。

 

香港がどういう場所なのか、日本で育った5歳児な俺には当然見当もつくはずがない。

でもなんとなく好奇心旺盛だった5歳の俺の勘が身体よりも先にそう答えた。

 

 

 

不安よりもむしろワクワクが勝っていた。

 

 

 

 

 

子供の好奇心ってすごいと思うし、すごく可能性に満ちている。

 

 

 

「いつまでも子供みたいなマネをするな」

 

 

 

見栄やプライドの鎖に繋がれたようなつまらない大人は口を揃えてこう言うけど、そんな大人たちよりも子供はある意味強いと思う。

 

オサくん、兄貴になるってよ

 

21世紀になって最初の年、俺が5歳になるかならないかくらいの時に、俺に弟か妹ができるってことを話された。

 

 

性別がどっちかは生まれるまで分からなかった。あれから20年経ったけど、俺が兄貴になった日、つまり下の子が生まれた日のことははっきり覚えている。

 

そいつは俺と同じくこち亀の舞台になった東京下町のちっちゃな病院で生まれた。

 

 

俺は父親と一緒に窓越しから生まれた直後に体重を測られている様子を見ていた。

 

 

 

 

 

俺「男と女どっちだぁー!?」

 

父「あれ?おち○ち○ついてるぞ??」

 

 

俺「おち○ち○ついてる!!!!ってことは男ダァーーーー!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クソガキだった俺は病院内でこう叫びながらはしゃいでいた()

 

 

 

 

 

つまり、俺には弟ができた。

 

弟とは共通の趣味が結構あって、その関連で共通の友達もいたりするから今でも普通に仲はいい。

ただ、弟は今でこそ俺よりもまともな生活をしていると思うけど、幼少期は決して順風満帆ではなかった。それを乗り越えて今がある。

 

 

具体的に何があったのかは後ほど綴ろうと思う。

順風満帆な普通の幼稚園児

 

2歳か3歳の物心ついた頃には俺は乗り物、特に電車が好きだった。家の近くに常磐線という路線が通っていて、よく父親に連れて行ってもらって一緒に眺めていた。

 

 

幼少期は「大きくなったら千代田線の運転士になりたい」と言っていた。

 

 

今から20年くらい前、あの頃の常磐線では営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線から乗り入れてくる電車と合わせて軽く10種類以上の形式を見ることができたと思う。

 

 

家の近くにある駅は金町駅というところだったけど、とにかくいろんな形の電車がひっきりなしに行き交う場所だったので1日中いても飽きないくらいだった。

 

 

その常磐線や千代田線の電車は大半が緑だったからか、俺の一番好きな色は今でも緑。

 

 

 

3歳になると幼稚園に入園するけど、とにかく俺は泣き虫だったのを今でも覚えている。

特に年少のころは登園するなりほぼ毎日「ママー!」と泣き叫び、いろんな先生に代わりばんこで抱っこされてあやされるような子供だった()

 

 

 

 

担任の先生の名前は年長で卒園するまで3年間同じゆきえ先生。かなり世話の焼ける子供で大変だっただろう…()

 

 

 

年長の頃にはお泊まり保育なるものがあったけど、急に熱を出して早退する始末。

 

 

人一倍世話の焼けるお子様だったと思うけど、この頃は順風満帆な生活を送っていた。平日は幼稚園に通い、土日はパピーが休みで、買い物や公園に連れて行ってもらったり、トミカプラレールで遊んでもらったりしていた。

 

 

たまにじいちゃんばあちゃんの家に遊びに行ったりもして、同世代の従姉妹ともこの頃から幼馴染感覚でよく遊んだ。

 

 

宮城にいるばあちゃんの親戚のもとを訪ねるべく、初めて新幹線に乗ったのも4歳の頃だった。2021年10月に引退予定のE4系Maxだ。

 

 

 

こんな感じで幼稚園の頃は概ね順風満帆に育った俺に転機が訪れたのは21世紀に入った頃、幼稚園の年長のことである。

アトランタオリンピック開催の閏年

 

今年は2021年、武漢肺炎の世界的流行で1年延期になった東京オリンピックが開催された。

 

俺は生まれたのは今から25年前、アトランタ五輪の開催された1996年だ。

 

 

1996年2月18日14時52分、俺は東京の下町にある小さな病院で生まれた。

こち亀という漫画で主な舞台となっている町だ。

 

 

ちなみにこち亀は最近の若い人はあまり知らないかもしれないけど、めちゃくちゃ面白いからすごくオススメ。

 

 

俺は本当は2月29日に生まれる予定だったらしいけど、予定日より10日ほど早く生まれた。

 

 

2月29日生まれってかなり希少性高いよね。そんな日に生まれてみたかったという気持ちは少々あるけど、何はともあれ両親に感謝である。

 

生まれた時の体重は2800gちょっと。少し小柄かな?

 

もちろん赤ん坊の頃の記憶なんて皆無だけど、母親曰くとにかく夜泣きがやばかったらしい。

 

 

ごめんなマミー。まあそれくらい元気だったっていうことだ()

 

 

ちなみにベビーカーもほとんど嫌がって乗らなかったんだとか。

あとは2歳の頃から掃除機とかでかい音のする物がダメだったらしい。

 

 

この頃からHSPだったんやなワイ…

 

 

 

ちなみにHSPとは「Highly Sensitive Person」の頭文字を取った言葉で、非常に感受性が高く、そのために環境からの影響を人一倍受けやすい気質を持っている人のこと。

 

1996年、俺の生まれた年に提唱された概念らしい。

 

 

ちなみに今でもでかい音や雑音は苦手。急にでかい音が出るとビビるし、ざわざわしてるとイライラするね。工事現場の仕事とか絶対出来ひん。

でも一般人からしたら雑音でしかないであろう電車の発車するときに出るモーター音は好きっていう。

 

 

今もわがままだけど昔からわがまま。どうやら俺のわがままは生まれつきらしい。

 

 

以上オサでした。今回はこの辺で。下次再見!

はじめまして!

 

はじめまして、オサと申します。

 

これからブログをマイペースだけど更新していこうと思う。

 

 

簡単に自己紹介をしておこう。

東京都在住25歳。趣味は写真撮影、読書、ネットサーフィン。

 

比較的飽き性なので好きなものはころころ変わるけど、鉄道は幼少期から好き。暇な時は乗り鉄したり音鉄(電車から発する音や駅の発車メロディなどを好む)をしている。

 

音楽は高校生の頃からきゃりーぱみゅぱみゅ、大学生の頃から欅坂46(現・櫻坂46)が好きだ。この2つは俺が特に影響を受けて思い入れの強いアーティストである。

 

 

 

 

そして職業は……無職。

 

今は福祉の助けを受けながら生活している。

 

 

 

何かと言ってしまえば、ちょっと前にメンタリストのデーゴが炎上したことで物議を醸している生活保護である。

 

 

 

もちろん、働きたくないからとか、そんな単純な理由でこうなったわけではない。

 

俺は去年にうつ病診断を受け、今は精神障害者保険福祉手帳なる物も持っている。

 

 

 

ではどうしてこうなったのか、俺自身も考えてみても正直よくわからない。

 

だけど過去の積み重ねで今の俺があるのは事実だ。

俺が今までどんな風に育ち、生きてきたのか。

 

俺の経験が誰かの役に立つかもしれないし、立たないかもしれない。

けど役に立つ人がいるなら嬉しいことこの上ないので、これから少しずつこのブログで綴っていこうと思う。

 

 

それでは今回はこの辺で。下次再見