順風満帆な普通の幼稚園児

 

2歳か3歳の物心ついた頃には俺は乗り物、特に電車が好きだった。家の近くに常磐線という路線が通っていて、よく父親に連れて行ってもらって一緒に眺めていた。

 

 

幼少期は「大きくなったら千代田線の運転士になりたい」と言っていた。

 

 

今から20年くらい前、あの頃の常磐線では営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線から乗り入れてくる電車と合わせて軽く10種類以上の形式を見ることができたと思う。

 

 

家の近くにある駅は金町駅というところだったけど、とにかくいろんな形の電車がひっきりなしに行き交う場所だったので1日中いても飽きないくらいだった。

 

 

その常磐線や千代田線の電車は大半が緑だったからか、俺の一番好きな色は今でも緑。

 

 

 

3歳になると幼稚園に入園するけど、とにかく俺は泣き虫だったのを今でも覚えている。

特に年少のころは登園するなりほぼ毎日「ママー!」と泣き叫び、いろんな先生に代わりばんこで抱っこされてあやされるような子供だった()

 

 

 

 

担任の先生の名前は年長で卒園するまで3年間同じゆきえ先生。かなり世話の焼ける子供で大変だっただろう…()

 

 

 

年長の頃にはお泊まり保育なるものがあったけど、急に熱を出して早退する始末。

 

 

人一倍世話の焼けるお子様だったと思うけど、この頃は順風満帆な生活を送っていた。平日は幼稚園に通い、土日はパピーが休みで、買い物や公園に連れて行ってもらったり、トミカプラレールで遊んでもらったりしていた。

 

 

たまにじいちゃんばあちゃんの家に遊びに行ったりもして、同世代の従姉妹ともこの頃から幼馴染感覚でよく遊んだ。

 

 

宮城にいるばあちゃんの親戚のもとを訪ねるべく、初めて新幹線に乗ったのも4歳の頃だった。2021年10月に引退予定のE4系Maxだ。

 

 

 

こんな感じで幼稚園の頃は概ね順風満帆に育った俺に転機が訪れたのは21世紀に入った頃、幼稚園の年長のことである。